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[畑村 洋太郎氏] [林 弘正氏] [高野 悦子氏] [矢崎 節夫氏]
「新大塚公園に思う」
2006年4月9日 高野 悦子
フランスの古い短編映画で忘れられない「えんどう豆」という佳編がある。屋根裏部屋に一人で住む老婦人の毎日を描いたものである。家の中での暮らしは、単調で孤独であり、黒白で撮影されている。ところが、日課の散歩で公園に行くときは、画面は突然カラーに変わり、日の光の降り注ぐ緑の公園で憩う人々に混じって、主人公が晴れやかな気持ちになるようすが、美しく描かれていた。
パリの人々のほとんどはアパート住まいであり、日の当たらない部屋もたくさんある。そのため、公園は非常に大切にされ、日光浴、散歩、読書、恋の語らいなど、ゆっくりと時間をとってくつろげる、必要不可欠な空間となっている。
振り返って、私たちの住む東京では、小さいながらも庭のあるような一軒家は次第に減って、アパート、マンションがどんどん増えている。
私も若い頃は、仕事一筋だったが、5年前に大病をして家で過ごす時間が多くなった。幸い我が家の近所には公園ではないが、緑豊かな神社の境内があり、いつも眺めては心安らぎ、疲れて気分のすぐれない時も、そこで深呼吸をすると気持ちが落ち着いてくる。改めてその空間の有難さをかみしめているこの頃である。
文京区は緑の多い区だと思う。現代の慌しく、息苦しい都市生活の中で、大人も子どもも、楽しく、安心して交流し、くつろげる公園の大切さは計り知れない。散歩をしながら、文京区に住む幸せを思う。東京都の中央に位置し、なによりも文化を大切にしている文京区。そんな文京区だからこそ、教育問題を十分考慮しながらも、人々に愛され続けてきた空間を大事に守ってゆく知恵をしぼっていただきたいと、心から願っております。(評論家)
「共生きの世紀に」
2006年4月9日 矢崎節夫
小日向に住んでいてほっとするのは 公園とグラウンドを持つ新大塚公園があるからでしょう。公園に入らなくても 道を通りながら、グラウンドで野球やサッカーを楽しんでいる若い世代やご高齢の方がベンチに腰掛けて眺めている姿、またスベリ台で遊ぶ幼い親子の姿を見るだけであわただしい日常の中何ともしあわせな気持ちになります。
新大塚公園は 三世代が共有できる大切な公園です。寒い冬から春になった時の桜の満開の桜トンネルは、生きていることの喜びさえ深く感じさせてくれます。
驚いたことに、地域の人たちにとって大切な、いや、文京区にとって誇りうるこの公園を廃止して新しい中学を建てるというのです。区報「ぶんきょう」(3月25日)には『教育センターと新大塚公園をあわせると、五中又は七中より広い校地になり、広い校地の確保は大切な要件です。』とあります。たしかに新しい中学、新しい教育は必要でしょう。未来のある若い人たちに充分 に才能を発揮してもらえることは大事ですしぜひそうあって欲しいと考えます。しかし、だからといってその為に三世代が集う新大塚公園を廃止し、そこに建てていい、ということにはならないのではないでしょうか。
すでにある五中か七中の地に新しい教育にふさわしい中学をつくるよう工夫し、最善をつくし、よりよき教育をめざすのが本来の姿ではないでしょうか。その時も近隣住民にとってうれしいかたちで進めて欲しい。
公園隣の教育センターも プラネタリウムを持つ個性のあるセンターです。老朽化しているのなら プラネタリウムを含む、新しい理科系の教育センターとして蘇らせて欲しいと思います。小柴昌俊教授を呼んで「区民ひろば」で特別公開授業をしてもらうほどの区なのだから。
二十一世紀は[地球 に やさしい]という人間中心の傲慢なまなざしから「地球 は やさしい」という、自然を含めたすべての存在と人間が共生き(ともいき)する世紀だといわれています。この共生きの世紀に新しくつくられる中学が三世代が共有するうれしい新大塚公園を廃してつくられる、そんなことがあっていいのでしょうか。この計画を担当する教育委員会の方々のたとえ今より広くならなくても、五中か七中の地にユニークな工夫と発想による新しい中学校づくりを強くお願いしたいと思います。
【矢崎節夫氏のプロフィール】 童話作家・童謡詩人。文京区に生まれ育つ。大学時代から創作を始め、「ほしとそらのしたで」(フレーベル館)で赤い鳥文学賞。又、日本童謡賞特別賞、日本児童文学学界賞 受賞。著書多数。
連絡先:info@sakura.web5.jp
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